ワンコと暮らすのんびり毎日

脚本家を休業し、のんびり楽しく過ごすニートのエッセイです♪

北墓場

眠る盃…というのは、私が敬愛する脚本家、向田邦子さんのエッセイ集のタイトルだ。少女の頃の向田さんが、「荒城の月」の「めぐる盃、かげさして」の部分を「眠る盃」と覚えてしまったというエピソードからきている。聡明でしっかりしたイメージの向田さんのおちゃめな一面がうかがえる、微笑ましいエピソードだ。

同じような勘違いは私にもある。年齢がばれてしまうが、幼い頃細川たかしのある歌がとても怖かった。
「北の、墓場の檻には、青い、顔の女がいるよ〜」
こんな歌だ。大人になって、それが「北酒場」という極めて陽気な歌であることを知り、長年の勘違いに愕然とした。
「北の、酒場通りには、長い、髪の女が似合う〜」

子供というのは面白いもので、経験と知識がないものだから、ダイレクトに聞いたものみたもの感じたものを、大人が考えつかないような発想で料理してしまう。子供の心のまま大人になれたらどんなに素晴らしいだろうかと思う。だって、全くのフリーなのだから。固定観念から、フリーなのだ。

面白い記事をみた。大阪、豊中市で、自転車の迷惑駐輪が相次いでいた。どうにかしなければ、という時、どういうアイディアが浮かぶだろう?
立て札?看板?ロープ?人が立って注意する?
私にはそういうことしか思い浮かばない。そして効果もなさそうに思う。

この自体を解消したのは、なんと小学校2年の男の子だという。本物の花壇がそこにあるかのような、トリックアートを描くことを発案したのだ。「人はきれいなものを見ていたいし汚したくないので、きれいな花壇の絵を作れば駐輪をしなくなると思った」という。うーん…。感動さえ思える。子供はフリーだ。

北墓場

眠る盃…というのは、私が敬愛する脚本家、向田邦子さんのエッセイ集のタイトルだ。少女の頃の向田さんが、「荒城の月」の「めぐる盃、かげさして」の部分を「眠る盃」と覚えてしまったというエピソードからきている。聡明でしっかりしたイメージの向田さんのおちゃめな一面がうかがえる、微笑ましいエピソードだ。

同じような勘違いは私にもある。年齢がばれてしまうが、幼い頃細川たかしのある歌がとても怖かった。
「北の、墓場の檻には、青い、顔の女がいるよ〜」
こんな歌だ。大人になって、それが「北酒場」という極めて陽気な歌であることを知り、長年の勘違いに愕然とした。
「北の、酒場通りには、長い、髪の女が似合う〜」

子供というのは面白いもので、経験と知識がないものだから、ダイレクトに聞いたものみたもの感じたものを、大人が考えつかないような発想で料理してしまう。子供の心のまま大人になれたらどんなに素晴らしいだろうかと思う。だって、全くのフリーなのだから。固定観念から、フリーなのだ。

面白い記事をみた。大阪、豊中市で、自転車の迷惑駐輪が相次いでいた。どうにかしなければ、という時、どういうアイディアが浮かぶだろう?
立て札?看板?ロープ?人が立って注意する?
私にはそういうことしか思い浮かばない。そして効果もなさそうに思う。

この自体を解消したのは、なんと小学校2年の男の子だという。本物の花壇がそこにあるかのような、トリックアートを描くことを発案したのだ。「人はきれいなものを見ていたいし汚したくないので、きれいな花壇の絵を作れば駐輪をしなくなると思った」という。うーん…。感動さえ思える。子供はフリーだ。

別に!

田代まさしは、ものすごくシャイな方らしい。トレードマークのメガネは伊達メガネで、恥ずかしさを隠すために掛けていたのだという。昔、志村けんのバカ殿で、すごろくの罰ゲームでお酒を一気飲みするというのがあった。田代まさしは何度も飲まされて、それが子供心に無理に飲んでいるのが分かって切なかった。志村けんが、こっそりもう飲まなくていいとジェスチャーをしても、無理やり杯をあけていた。真面目な人なんだと思った。

ドラッグで何度も捕まる田代まさしの映像がテレビに映し出される度に、顔を歪めて酒を一気飲みする姿がよみがえってくる。辛かったんだろうな、と思う。私は仕事のプレッシャーでストレスをためてから、精神科の薬に頼るようになった。きつい、だるい、やる気がしない、という時に飲むと、前向きで元気が出る薬だ。即効性があった。常用した。やがて依存性があることが分かった。やめられなくなった。それが海外では(危険度は極めて低いが)ドラッグ指定されている薬だと知ったのは、必死の断薬をした後だった。

沢尻エリカが、MDMAの所持で有罪判決となり、世間の避難を浴びているが、そこまで避難されることなのかと思ってしまう。確かに芸能人というパブリックな職業でドラッグをやっていた事実は、許されることではないかもしれない。けれど、まだ世間というもを分かっていない十代の頃から第一線で頑張っていた女優だ。プレッシャーは半端なかっただろう。同じようなプレッシャーにさらされたことがない者が、人格を否定するほどの批判をするのは、おかしなことだと思えてならない。

辛かったね、と、私は言ってあげたい。立ち直ってからが、本当の人生だと思う。芸能界が合わなかったからもう戻らないというのなら、才能のある女性だから、新たな道が開けるだろうと思う。やはり自分には女優しか道がないとまた思えるのならば、戻ってきて欲しい。私は映画『パッチギ!』で魅せてくれた沢尻エリカの鮮烈な印象を、忘れることが出来ないでいる。

ロマンチックとハンカチーフはとまらない

これまでに、どれだけ車移動の旅行をしただろうか。現地で車レンタルを含めると、相当なものだ。私は免許を持っていないので、運転が出来ない。大学時代に親が免許費用に送ってくれたお金は、酒代に消えた。馬鹿なことをしたものだ。お陰でドライバーになることはないが、運転を交代できないことはいつも申し訳なく思っている。

同じように免許を持っていない女友達ふたりと、山形に旅行に行こうという話になったのは、大学院二年の時だった。映画学専攻だったため、山形ドキュメンタリー映画祭に行く予定が、るるぶを見ていると温泉にも行きたいね、と盛り上がり、何だか普通の女子三人旅になってしまったのだった。

しかし、大きな問題点がひとつ。誰も車を運転出来ない。秘湯ぽいところは、車じゃないと行けないところにある。運転するためだけに付いてきてくれる人材など、見つかるだろうか?果たして、簡単に見つかった。サークルの後輩の男の子に、「美女ふたりくるから、一緒に旅行に行かない?」と誘ったら、ふたつ返事で付いてきた。単純な奴だった。

綿密に旅行の計画をたて、当日はそれぞれ好きな曲をCDに落として持ち寄ろうという話になった。三日の旅行。走行距離も長い。たくさんCDがあった方が楽しめる。みんな何か持ってきてくれるだろうな。と、無精者の私は、何も準備しなかった。ところが、あきれたことに、みんな同じ考えだったのだ(雇われ運転手には期待していない)。類は友を呼ぶという言葉を、しみじみかみしめた。

ひとりの子が、ネタのつもりでと、CDに二曲だけ焼いてきていた。何故かC-C-Bの『Romanticは止まらない』と、太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』。道中、このCDをエンドレスに流し続けた三日間だった。あの頃は、何故あれほどお酒ばかり飲んだのだろう?確かに温泉は気持ちよかったし、山形牛も美味しかった。しかし、今でも懐かしの名曲みたいな番組でこの二曲が流れると、私は山形の温泉宿で、半裸で焼酎瓶を抱えて飲み狂う女友達ふたりの姿がありありと記憶によみがえるのである。

カエライフ×はてなブログ 特別お題キャンペーン #ドライブと音楽

カエライフ×はてなブログ 特別お題キャンペーン #ドライブと音楽
by ホンダアクセス

カエライフ×はてなブログ 特別お題キャンペーン #ドライブと音楽

カエライフ×はてなブログ 特別お題キャンペーン #ドライブと音楽
by ホンダアクセス